「科学するブッダ 犀の角たち」を読んだ

 科学と仏教について共通性,似ている部分があるというのがテーマの本.著者は仏教の研究者. 前半に科学の話,後半に科学と仏教の共通性について述べていた.

 まず前半は,「科学の人間化」をテーマに科学について,科学がどのような過程で進歩してきたかという話が進んでいく.

 一つ目は物理学.物理学において,ニュートン力学、相対性理論、量子論、多世界解釈と、 人間の認識する世界が動いている仕組みの理解の仕方について、神の視点から脱して堕落していく(パラダイムシフトが起きる)と説明する. ここでいう神の視点とは,例えばニュートン力学でいう系,相対理論でいう光,量子論でいう観測者など,あらかじめ決まっていたり,あることが当然と考えられている概念のこと. それが,だんだんと範囲を狭め,理論にて説明ができるようになることを著者は堕落(悪いニュアンスを含めない)と呼んでいた.

 続いて、進化論.こちらも、世界は神が作り人間は特別であるという考え(前提)から、進化論によって堕落が起きたという話が述べられる.

 さらに数学.数学は,無理数の発見,虚数,実無限などを例に,神の視点ではなく人間の視点として実際にそういうものがあると理解することで数学が発展してきたという話が述べられる.

 そして,前半のまとめとして,このように世界を認識しているのは人間であり、神ではないということ, またさらに人間は特別ではないこと,人間の直覚によっては承認することのできない,現実世界の持つ不思議があるということを述べる. ここから,「科学の人間化」という現象の先には何があるのか?という問いに対して,どう認識するかを科学していくという方向から脳科学ではないか,と述べていた.

 このように科学について述べたのちに後半で,科学の物質的世界観に対する探求の仕方と, 仏教(釈尊の提案した初期の仏教、現在日本に多く広まっている大乗仏教ではない)の精神的世界観に対する探求の仕方が似ている,という話に進む.

 まず,仏教の成り立ちについて著者は述べる. 仏教とは,苦行ではなく瞑想を用いて悟りを開く宗教であるらしい. そして悟りとは,世界に超越者はいなくて,世界は因果則で説明できると理解しそこから逃れて心の平穏を手にするにはどうすればいいか,ということらしい. 具体的には,自分の人生をかけて瞑想し,それを通じて精神世界を理解しようとするのが必要であると述べる.

 そしてこれはまさしく人が世界をどう認識するか,ということで,人間化の流れが仏教につながっているではないか,と著者は主張し,話が終わる. 最後に大乗仏教について,なぜそれが広まったかについての簡単な説明があり本としては終わり.

 本を読んでいて,こういう風に物理論や進化論,数学などの発展について考察できるんだ,なるほどと思った. また,科学の人間化という考えが面白かった.

 科学というのが物質世界を探求していて,仏教というのが精神世界を探求していて,それがいつかマージされるのではないか,という著者の主張は非常に面白かった. 科学も突き詰めると哲学になるなというのはなんとなく思っており,また仏教が目指しているものが科学と似ているという話も聞いたことがあり興味を持って呼んだがとても参考になった. そして,タイトルにも入っている「犀の角」の元となった詩がとても良かった.(座右の銘にしたいぐらいだが自分は怠惰すぎて背負うには重い)

究極の真理へと到達するために精励努力し,心,怯むことなく,行い,怠ることなく,足取り堅固に,体力,智力を身につけて,犀の角の如くただ独り歩め 『スッタニパータ』六八